ライオンズクラブとは
ライオンズクラブは、世界最大の社会奉仕団体であるライオンズクラブ国際協会に所属する単位クラブで、全世界では約4万クラブ、約140万人の規模になります。
ライオンズクラブは以下のモットー、スローガンで社会奉仕活動を行っています。
- モットー「We Serve ・ われわれは奉仕する」
- スローガン「自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる」
またライオンズクラブ国際協会では、ライオンズクラブ国際財団(LCIF)、災害救助、児童奉仕、保健プログラムなど、世界中で奉仕活動を行っています。
ライオンズクラブ とは
MELVIN JONES
メルビン・ジョーンズは1879年1月13日、アリゾナ州フォート・トーマスで生まれました。ちょうどアメリカが西へと開拓を進め、先住のインディアン諸部族と攻防を繰り返していたころでした。
ジョーンズの父は騎兵隊を指揮するアメリカ陸軍大尉でしたが、アリゾナのアパッチ族の酋長・ジェロニモの逮捕により、戦闘は終結、家族はミズーリ州セントルイスへ移ることとなりました。その後、ミシシッピ河をはさんで対岸のイリノイ州クインシーに転居。クインシーで法律を学んだジョーンズはシカゴに出て保険会社に勤務、1913年に保険代理店を設立しました。
International Association Of Lions Clubs
1917年の最初の会議でライオンズクラブの名称が決定したとき、 百獣の王ライオンが象徴する強さや高潔さといったあらゆる善なるイメージを意図するだけのものであり、 名称変更を希望するものもいたということです。
International Association Of Lions Clubs
アメリカの急激な発展で、昼食を共にとりながら情報交換し、 チャンスをつかもうというサークルみたいなものがたくさんあり、ジョーンズが入会したサークルも実業家によるそうした集まりでしたが、 ジョーンズは次第に単なる社交と利益を目的としたものに満足できなくなっていき、「意欲、知力、 野心によって成功しているメンバーたちの能力を地域社会の為に活用する組織がつくれないだろうか」と考え、 アメリカにある同じようなクラブサークルに呼びかけをしました。これに賛同した代表ら20名が集結し、シカゴ・ ラサールホテルで最初の会議がもたれました。そして名称を「Association of Lions Clubs」とすることが決定、 ライオンズクラブの誕生であります。
一方、協会名を変えようという運動が発足後2年間続けられました。 改称論者は第一次大戦で勇名をはせた陸軍部隊「レインボー」 や創立クラブの一部にあった「ポーテックス」の名を主張しました。そんな時、 1919年シカゴにおける第3回大会の初日の昼食会において、ハルステット・リッターというデンバーの若い弁護士が 「ライオニズムの力」と題してスピーチを行ないました。彼はライオンズの名に触れ、次のように述べました。
「これは、我々が常に賞揚してやまない資質―友愛、親善、個性、意志―のすべてを備える百獣の王の名と同じであるばかりでなく、 我々市民としての真の意義と基盤を表すものと私は確信します。すなわち、
L(Liberty)
I(Intelligence)
O(Our)
N(Nation’s)
S(Safety)
であります。皆さん、 これをバナーに記し、心に刻みこみ、万人を魅了するに違いないこの文字を高らかに揚げようではありませんか」
話が終わったとき、ライオンズの名称は確固となっていました。後年、この文字の組み合わせは協会のスローガンとして採択されました。
We Serve
モットー「We Serve – われわれは奉仕する」
このモットーは1954年、国際協会が募集したコンテストの応募作の中から、採択されたものであります。主語が私ではなく、われわれであるところにライオンズクラブの特徴がよく表れています。皆が力を合わせて人道奉仕を行う。助け合う。そういう組織のモットーであります。
Liberty Intelligence Our Nation’s Safety
スローガン「自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる」